南部直史さん、二丁目のバー「MATAGI」のマスターに就任
12年にわたってゲイシーンを盛り上げてきた立役者にインタビュー
二丁目にはたくさんのゲイバーがありますが、このたび、南部直史(Nao)さんがバー「MATAGI」のマスターに就任することになりました。Naoさんは、もともとバー「BACKDRAFT」のスタッフや雑誌のモデルとしてデビューし、その後、音楽活動を通じてパレードやHIV予防イベントなどに貢献するなど、12年にわたってゲイシーンを盛り上げてきた方です。そのヒストリーを振り返りつつ、「二丁目に現れた強力な助っ人」への期待を込めて、インタビュー記事をお送りしたいと思います。(後藤純一)

モデルからミュージシャンへ
ーーNaoさんは1997年頃、今は伝説となっているゲイバー「BACKDRAFT」のスタッフとしてゲイシーンにデビューしたわけですが、その頃はまだ学生さんでしたっけ?
そうですね。24のときです。大学に入るとき浪人もしてるし、留年もしてるので、まだ学生でした。
ーー「BACKDRAFT」のマスターだったMASAさんは、単にモテ筋のマッチョというだけでなく、ゲイシーンやゲイカルチャーをこよなく愛し、ドラァグクイーンにもたいへん優しい(笑)、『バディ』誌にも連載を持っていたような方でした。ある意味、英才教育というか、とてもいい影響を受けたと思います。
本当にそうだと思います。自分はまだその頃はゲイの世界のことをよくわかっていなかったので、MASAさんからたくさんのことを学びました。
ーー「BACKDRAFT」を通じて、『バディ』や『G-men』などのゲイ雑誌にも登場するようになりましたね。
店に入ってすぐだったんです。見た目的には『G-men』さんの方がマッチしていて、出させていただく回数は多かったけど、実はデビューは『バディ」さんでした。MASAさんの「HEARTFUL BODY」というコーナーに写真とインタビューで出させていただいたのが最初です。
ーーその後、1999年頃かな? BACKDRAFT BOYSというユニットでGO-GOショーを披露したり、CDを制作して「VOICE」などでライブ出演するようになり、パフォーマーとしても活躍を見せました。Naoさんが音楽活動を始めるというのは、新鮮な驚きがありました。
ずっと音楽をやっていて、そっちの道に進みたい、ミュージシャンとしてやっていくのが夢だったんです。で、もともと作っていた曲のストックの中から『ビデオバディ』のエンディングテーマとして採用していただいたり、『V G-men』でも何曲か使っていただきました。
ーーそれからNaoさんが発掘したボーカリストKOZiさんとともにGALEというユニットを結成し、2000年~2002年のパレードの盛り上がりともシンクロして、「ALWAYS PROUD」「BRAVE WALKER」などの名曲を発表し、いろんなイベントにも出演してましたね。
あの時は不思議な感覚でした。並行してバックバンドのサポートミュージシャンやレコーディングミュージシャンもやっていて、そちらとはまた違う広がり方をした。
ーーGALEの歌に励まされて初めてパレードを歩いたという人もいたと思います。
バーにもクラブにもハッテン場にも行かない、雑誌だけたまに読んでいるという方が、GALEの歌を知って自己肯定のきっかけになった、パレードに初めて参加したといったお話をたくさん聞きました。元からオープンだった人たちよりも、そういう人たちに響いたかもしれない。歌の力はすごいと思いました。
ーー2002年の前日祭「GLORY」(※2001年、2002年の東京レズビアン&ゲイパレードでは、日曜日のパレードの前日、代々木公園のステージ上で1日ドラァグショーやライブを楽しむ「GLORY」というイベントが開催されていました)ではトリを飾りましたね。
え、トリでいいの?みたいな。その前は戸川昌子先生で、大御所すぎるので、なんか申し訳なくて…
ーーそうでしたね(笑)
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二丁目にはたくさんのゲイバーがありますが、このたび、南部直史(Nao)さんがバー「MATAGI」のマスターに就任することになりました。Naoさんは、もともとバー「BACKDRAFT」のスタッフや雑誌のモデルとしてデビューし、その後、音楽活動を通じてパレードやHIV予防イベントなどに貢献するなど、12年にわたってゲイシーンを盛り上げてきた方です。そのヒストリーを振り返りつつ、「二丁目に現れた強力な助っ人」への期待を込めて、インタビュー記事をお送りしたいと思います。(後藤純一)

モデルからミュージシャンへ
ーーNaoさんは1997年頃、今は伝説となっているゲイバー「BACKDRAFT」のスタッフとしてゲイシーンにデビューしたわけですが、その頃はまだ学生さんでしたっけ?
そうですね。24のときです。大学に入るとき浪人もしてるし、留年もしてるので、まだ学生でした。
ーー「BACKDRAFT」のマスターだったMASAさんは、単にモテ筋のマッチョというだけでなく、ゲイシーンやゲイカルチャーをこよなく愛し、ドラァグクイーンにもたいへん優しい(笑)、『バディ』誌にも連載を持っていたような方でした。ある意味、英才教育というか、とてもいい影響を受けたと思います。
本当にそうだと思います。自分はまだその頃はゲイの世界のことをよくわかっていなかったので、MASAさんからたくさんのことを学びました。
ーー「BACKDRAFT」を通じて、『バディ』や『G-men』などのゲイ雑誌にも登場するようになりましたね。
店に入ってすぐだったんです。見た目的には『G-men』さんの方がマッチしていて、出させていただく回数は多かったけど、実はデビューは『バディ」さんでした。MASAさんの「HEARTFUL BODY」というコーナーに写真とインタビューで出させていただいたのが最初です。
ーーその後、1999年頃かな? BACKDRAFT BOYSというユニットでGO-GOショーを披露したり、CDを制作して「VOICE」などでライブ出演するようになり、パフォーマーとしても活躍を見せました。Naoさんが音楽活動を始めるというのは、新鮮な驚きがありました。
ずっと音楽をやっていて、そっちの道に進みたい、ミュージシャンとしてやっていくのが夢だったんです。で、もともと作っていた曲のストックの中から『ビデオバディ』のエンディングテーマとして採用していただいたり、『V G-men』でも何曲か使っていただきました。
ーーそれからNaoさんが発掘したボーカリストKOZiさんとともにGALEというユニットを結成し、2000年~2002年のパレードの盛り上がりともシンクロして、「ALWAYS PROUD」「BRAVE WALKER」などの名曲を発表し、いろんなイベントにも出演してましたね。
あの時は不思議な感覚でした。並行してバックバンドのサポートミュージシャンやレコーディングミュージシャンもやっていて、そちらとはまた違う広がり方をした。
ーーGALEの歌に励まされて初めてパレードを歩いたという人もいたと思います。
バーにもクラブにもハッテン場にも行かない、雑誌だけたまに読んでいるという方が、GALEの歌を知って自己肯定のきっかけになった、パレードに初めて参加したといったお話をたくさん聞きました。元からオープンだった人たちよりも、そういう人たちに響いたかもしれない。歌の力はすごいと思いました。
ーー2002年の前日祭「GLORY」(※2001年、2002年の東京レズビアン&ゲイパレードでは、日曜日のパレードの前日、代々木公園のステージ上で1日ドラァグショーやライブを楽しむ「GLORY」というイベントが開催されていました)ではトリを飾りましたね。
え、トリでいいの?みたいな。その前は戸川昌子先生で、大御所すぎるので、なんか申し訳なくて…
ーーそうでしたね(笑)
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| ゲイ・おかまライフ | 10:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑