新宿御苑の不動産屋ブログ 【新宿二丁目】

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花園神社「夏越しの大祓」

夏越しの大祓
花園神社では6月30日(火)午後5時より大祓を斎行致します。

 半年のうちに知らず知らずに犯したであろう罪や過ち、心身の穢(けがれ)を祓い清めるための神事を「大祓」といいます。 毎年6月と12月の二回、その月の末日に行います。大祓には「形代」(撫物・なでものともいい、紙を人の形に切り抜いたもの)に、名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて息を吹きかけ自分の罪穢を「形代」に移し、それを海や川などに流しわが身の代わりに清めてもらいます。

平成21年 厄年
厄年にあたられる方は下記の年にお生まれになった方です。
男性  前厄    本厄    後厄
   昭和61年 昭和60年 昭和59年
   昭和44年 昭和43年 昭和42年
   昭和25年 昭和24年 昭和23年

女性  前厄    本厄    後厄
   平成 4年 平成 3年 平成 2年
   昭和53年 昭和52年 昭和51年
   昭和49年 昭和48年 昭和47年

花園神社ホームページ

◆花園神社の歴史◆
花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。
徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。
花園神社は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にありました。
しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。
そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになりました。
その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。
この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。
初めて史料に花園神社の名が登場するのは、享和3年(1803)のこと。大火に遭った社殿復興を願って内藤新宿町より奉納された額面に「花園社」と記されていました。「花園」という名称が正式なものになるのはずっと後代のことで、稲荷神社または三光院稲荷とも呼ばれ、さらに江戸時代には地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていたようです。
三光院稲荷と呼ばれたのは、明治維新以前には神仏習合により神社と仏教寺院が同時に祀られることが多く、花園神社も真義真言宗豊山派愛染院の別院である三光院が合祀され、住職が別当(管理職)を兼ねる慣わしだったためであるといわれています。
しかし、その三光院は明治元年 (1868)3月に維新政府が祭政一致の方針に基づき神仏分離令を発布し、廃仏毀釈が進む中で花園神社と分離され、本尊は愛染院に納めて廃絶となりました。
明治に入ると、「村社稲荷神社」が正式名称とされました。これは神名帳を提出した際に、誤って花園の文字を書き漏らし、「稲荷神社」で届出をしてしまったからだそうです。
しかし、江戸時代から当神社は「花園社」と呼ばれており、単に「稲荷神社」といえば総本山である伏見稲荷神社を指すのが一般的で紛らわしいことから、大正5年1月25日、当時の社掌・鳥居成功と氏子総代・坂田寅三郎ら13人が東京府知事に対し社号の改名願を提出しました。この社号改名願は同年2月26日に許可され、「花園稲荷神社」となったのです。
さらに昭和40年に、それまで末社だった大鳥神社を御社殿建替えと共に本社に合祀したことから、ようやく「花園神社」が正式名称となりました。
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